年収80万円。最初にしたこと

パソコン教室で学ぶ女性を描いた水彩イラスト
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このままでは生活できない

離婚が決まったとき、私の年収は約80万円。

カフェのパートだけでは、とても2人の娘を育てていける収入ではありませんでした。

「このままでは生活できない。」

そう思っても、当時の私は特別な資格もスキルもなく、

転職したくても、すぐに正社員として働けるわけがありませんでした。

離婚の話し合いが続き、精神的にもすごく落ち込んでいました。

弁護士から聞く夫からの心ない言葉に傷ついたり、離婚条件のやり取りをしながら、

それでも日々の仕事には行かなければなりませんでした。

気持ちは追いついていないのに、生活は待ってくれない。

その現実が、あの頃は本当にしんどかったです。

これからの働き方を決める

悩んで悩んで、母にも相談して、出した結論は……今すぐ仕事を変えないこと。

まずは慣れた仕事で働く日数を増やし、社会保険に加入できる働き方に変えることを優先しました。

その結果、翌年の年収は約130万円に増えました。

たった50万円かもしれません。

でも当時の私にとっては、大きな一歩でした。

社会保険に入れたことで、少しだけ安心できた部分もありました。
それでも、娘たちを育てていくにはまだまだ足りません。

仕事のない日はスキルアップ

仕事のない日は無料のパソコン教室や就職支援の講座へ通い、転職に向けて動き出しました。

それでも、生活に足りるわけではありませんでした。

「もっと収入を増やす方法はないだろうか。」

そう考えた私は、収入を増やすために、さらに動き始めました。

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この記事を書いた人

埼玉に住むアラフィフ。2人の娘を育ててきました。2026年に次女が大学を卒業し、長かったシングルマザー生活を卒業しました。

離婚したときは、年収80万円。通帳を開くのが怖い毎日でした。そこから10年かけて、暮らしとお金を少しずつ立て直し、いまは「働き方を選べる」ところまで来ました。

2026年秋には、10年勤めた会社を退職します。これからは自分ファーストで、無理をしすぎない働き方をしていくつもりです。

名前は、好きな街「佐久平」から。緑の中を歩くこと、カフェでのんびりすること、ジムで体を動かすことが好きです。

このブログには、離婚・子育て・仕事・お金・投資、そして退職のリアルな10年を書いています。10年前のわたしと同じ場所にいる人に、少しでも「これならできそう」が届いたらうれしいです。

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