電球も替えたことがなかった私が、娘2人を育てた10年間

離婚して2か月ほどたった頃、私はアメブロにこう書いていました。

「ああ、独りなんだな」

離婚したことは分かっているのに、ふとした瞬間に、

「これからは、何をするのも、何を決めるのも一人なんだ」

と思い、動きが止まることがありました。

自分では、しっかり者だと思ったこともありません。

結婚していた頃は、分からないことがあれば夫に相談していました。

当時の私は、電球を替えたことすらありませんでした。

そんな私が、これから娘2人を育てていけるのだろうか。

先のことを考えると、不安でいっぱいでした。

目次

8月31日に離婚して、8月分の国民年金を払った

離婚後は、知らないことばかりでした。

児童扶養手当を申請しようとしたときも、私の場合は住民票の手続きが済んでおらず、その日に申請することができませんでした。(その記事はこちら

そして、もう一つ驚いたのが国民年金です。

私は8月31日に離婚届を出しました。

8月の最終日です。

そのため、国民年金の支払いは9月分からだと思っていました。

ところが実際には、8月分の国民年金保険料を1か月分払うことになりました。

「8月最終日、それももう夕方近いのに8月分を丸々払うの?」

と驚きました。

児童扶養手当の申請も8月中に間に合わない、国民年金は8月分から1か月分かかる。

それなら、あと一日待って、9月1日に離婚届を出せばよかったな……。

当時はとても残念に思いました。

離婚に伴う手続きには、実際に経験して初めて分かることがたくさんありました。

児童扶養手当が決まるまでの2か月

児童扶養手当証書も、申請してすぐに受け取れるわけではありませんでした。

なかなか書類が揃わなかったこともあり、証書が届いたのは、申請してから2か月後でした。

本当に手当を受け取れるのか。

これからの生活は成り立つのか。

結果が出るまでは、収支の見通しを立てられず不安でした。

児童扶養手当は、申請した翌月分から支給の対象になりましたが、当時の振り込みは4か月ごとでした。

受給できることが決まったときは、ホッとしました。

少しだけ先が見えたような気がしました。

学費のために仕事を増やした

離婚後は、職場に勤務時間や日数を増やしてもらいました。

さらに、休みの日に、単発派遣の仕事を入れていました。

子どもの学費のためには、できるだけ働かなければと思っていたのです。

けれど、働きすぎて疲れがたまり、普段の仕事でミスが続いた時期もありました。

ミスをするたびに自己嫌悪になり、

「もっと頑張らなければ」

と思っていましたが、すでに自分の許容量を超えていたのだと思います。

頑張るだけでは続かない。

休むときは休み、仕事のときは集中する。

だけど、離婚直後の私は、そんな当たり前のことさえできないほど、気持ちに余裕がありませんでした。

10年後、娘2人は社会人になった

あれから約10年がたちました。

娘2人は進学を終え、それぞれ社会人になりました。

離婚したばかりの頃は、一人の収入で生活していけるのか、娘たちの学費を払えるのか、まったく自信がありませんでした。

最初から10年先を見て頑張っていたわけでもありません。

諸々の支払いをどうするか。

進学費用をどう用意するか。

今日の仕事をどう乗り切るか。

そのとき目の前にあることを、一つずつ進めてきただけでした。

知らなくて失敗したこともあります。

娘たちとぶつかり、落ち込んだこともありました。

それでも気がつけば、娘たちは大人になっていました。

完璧な母親ではなかったけれど、電球も替えたことがなかった私は、娘2人を育てることができました。

あの頃の私に伝えたいこと

離婚したばかりの私は、

「これからずっと、一人で何もかも決めなければならない」

と、不安でいっぱいでした。

10年続ければ一人前になる、と聞いたことがあります。

シングルマザーとして10年を過ごした私が、一人前になれたのかは分かりません。

それでも、分からないことがあれば自分で調べ、困ったときには人に頼りながら、前へ進めるようになりました。

そして、自分で働いて収入を得て、娘たちとの生活を支えることもできました。

「娘たちには、好きな進路に進ませてあげたい」

離婚したときに心に誓ったその思いを、何とかかなえることができました。

娘たちの進学を見届けた今、これからは少しずつ、自分のことも考えていきたいと思います。

また新しいことを始めれば、私はもう一度初心者になります。

それでも、10年前の私よりは、少し安心して一歩を踏み出せそうです。

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この記事を書いた人

埼玉に住むアラフィフ。2人の娘を育ててきました。2026年に次女が大学を卒業し、長かったシングルマザー生活を卒業しました。

離婚したときは、年収80万円。通帳を開くのが怖い毎日でした。そこから10年かけて、暮らしとお金を少しずつ立て直し、いまは「働き方を選べる」ところまで来ました。

2026年秋には、10年勤めた会社を退職します。これからは自分ファーストで、無理をしすぎない働き方をしていくつもりです。

名前は、好きな街「佐久平」から。緑の中を歩くこと、カフェでのんびりすること、ジムで体を動かすことが好きです。

このブログには、離婚・子育て・仕事・お金・投資、そして退職のリアルな10年を書いています。10年前のわたしと同じ場所にいる人に、少しでも「これならできそう」が届いたらうれしいです。

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